6月度「散策」6月26日:富士見市の歴史公園巡り


【主なコース】「興禅寺」-「難波田城公園」-「馬頭観音」-「水子貝塚公園」  -「山崎公園:せせらぎ菖蒲園」-「鶴瀬駅」 

早朝は梅雨の晴れ間に恵まれたと思いましたが、なんと大変強い陽射しの暑い散策となりました。浦和駅西口からバスに乗り荒川の橋を渡り対岸の志木市役所前のバス停で乗り換え「興禅寺入口」で下車。第一の目的地まで徒歩を入れて約40分で到着、現地集合の人達も含め総勢18名の仲間が参加。皆さん猛暑のなかを元気よく難波田城公園へと向かいました。道中では成長半ばの稲も青々と綺麗な畑が拡がっており荒川堤防の先には新都心のビル群が望めました。難波田城は中世に活躍した難波田氏の居城跡です。荒川低地の一角に築かれた平城で、規模は5万平方メートル以上と推定されています。園内には資料館のほか水郷や土塁を復元した「城跡ゾーン」と市内の古民家を移築して農村景観を再現した「古民家ゾーン」があり富士見市の歴史や文化を、目で学ぶだけでなく肌で感じることができる大変きれいに整備された公園。休日には親子ずれも多い事と思います。昼食後、国指定史跡「水子貝塚公園」へと向かい、途中、馬頭観音に立ち寄り参拝。とにかく真夏同様の陽射しを受け、汗だくで坂をのぼり、「水子貝塚公園」に到着。武蔵野台地の北東縁に位置し、東半分を占める荒川低地は縄文時代には海でした。水子貝塚は、魚や貝などの海の幸を求めて集まった人々が残した貝塚の一つです。竪穴住居跡内に残された小貝塚が環状に分布する縄文時代前期中ごろの集落跡である事が明らかになり、シジミを中心にカキやハマグリなどが混じる貝塚が発見されました。水子貝塚資料館、展示館には出土した土器などの観賞ができ、竪穴住居跡は復元されたものがあって迫力があり、ここの場所で数千年前に縄文人の生活があったとは想像ができない。最後の散策場所は「山崎公園」せせらぎ菖蒲園を見学、小川などが作られハナショウブの時期には多くの市民が訪れるそうです。今年は2週間ほど時節が早まりており、多くの花を観賞することができなかった事が残念。園内は風もさわやか、小休憩をとったあと、市内を流れる川沿いを歩くこと約15分「鶴瀬駅」へと向かい、皆さん最後の踏ん張りで全員無事駅に到着。昔の人も仰いだ秩父連山を車窓から眺め浦和へと向かいました。暑さのなか大変お疲れ様でした。

                             (数値の高い縄文人記)